小学生の頃、「明日までにやって出すように。」そう言って先生は宿題を出しました。
遊びに夢中で忘れたり、嫌々やったり、こういった経験は誰もがあると思います。
学力が伸びるからやる宿題。
実は心理学者の中には「子どもにとって時間の浪費だ」と指摘する人もいます。
今回は、そんな宿題の効果について調べた研究を紹介します。
この記事は、子どもの教育に関わる方にとって有益な内容になっています。
実際の研究
米国ネバダ大学のオズカン・エレンは、1032校の中学校で2万人を超える中学2年生を対象にして、1週間の宿題の量を調べました。
平均で数学2.4時間、科学1.7時間、英語2.2時間、歴史2.1時間の宿題を出されている事が分かりました。
これらの宿題をこなした時間と学力の比例関係は、数学だけに見られました。
つまり、宿題は数学以外は効果がみられなかったということです。
エレンは「数学以外の宿題は、子どもの貴重な時間を奪って負担を与えるだけ」と結論付けています。
最近の学校ではどうでしょうか?
私の学生時代を振り返ると、それはそれは苦痛な時間を過ごしたことが思い出されます(笑)
宿題の意味
以上の結果を踏まえ、宿題には学力以外にどんな意味があるのでしょうか?
「親子のコミュニケーション」、「自己肯定感や自信の向上」、「スケジュール管理能力の向上」などがありそうですね。
実際に私は小学生の頃、夏休みに母親と同じ部屋で勉強した記憶が今でも残っています。
それは、懐かしくひと時の記憶として親子関係に良い作用をもたらしていると感じます。
宿題が出されるのは主に小学校~中学校だと思います。
この時期は「エリクソンの発達課題」で言う、「学童期」に当たります。
学童期には「勤勉性VS劣等感」という危機があります。
生活の多くも家から学校へと移行する時期です。
学校では学ぶ機会に身を置き、テストや成績で外的な評価・数値化もされていきます。その中で、自分で努力して、望みを達成する。
それを「勤勉性」と呼びます。
これを乗り越えることで、活力として「自分は困難を挑戦・克服できるという自信=有能感」が身に付くとされています。
しかし、この時期に頑張ること経験をせずにいると、自ら学ぶことや物事に取り組む力も弱くなり、「劣等感」を抱いてしまいます。
これをエリクソンは「危機」としています。
そういった意味では宿題は学力向上以外の面を持っていると言えます。
しかし、宿題の内容は学業にこだわらなくてもいい気はします。
年々、子どもの体力や運動能力の低下も問題視されていますが、数学の宿題以外は運動や芸術などに費やすのも子どもには有意義なのではないでしょうか。
学校教育の在り方
学校関連のニュースでは「音楽の教科で有名アーティストの楽曲を使用」「金融教育やプログラミング学習が義務化」など学業の変化にも注目を浴びています。
この内容は教員個人で決められるものではなく、カリキュラムに沿って構築されているのでしょう。
だから、教員の個性は出せても、教える内容は均一になるよう構造化されています。
宿題の在り方もその一つです。
以下の図は「学校教育現場の業務従事率と負担感率」です。
宿題に関する部分を見やすくすると以下の表になります。
項目/学校別 | 小学校教諭 | 中学校教諭 | ||
従事率 | 負担感率 | 従事率 | 負担感率 | |
「宿題、提出物の点検」 | 94.5% | 39.8% | 96.6% | 41.9% |
「朝学習、朝読書の指導、放課後学習の指導」 | 90.6% | 21.7% | 88.3% | 24.3% |
100%に近い教員が宿題に関して従事しており、40%も負担を感じているという結果です。
教員は残業が多く、感情労働なのでしばしば現場の悲鳴が聞かれます。
宿題を辞めるにも教育カリキュラムにメスを入れ、効果のある代替案を考え、保護者の同意も得てなど一個人には難しいものです。
1990年頃から「ゆとり教育」が始まり、新しい学習内容や学校週5日制などに変わりましたが、一部ではその批判も凄まじいです。
あまり明確な根拠もないと言われていますが、学力低下などを示唆する声も上がっています。
このような現状では変えるのも一苦労なのは理解できますね。
個人的には学校教育にゲームクリエイターなどの工夫をプラスすると、楽しく継続できる環境が作れるんじゃないかなーと思ったりします。
しかし、冒頭で上げたように学業に少しづつ変化も生まれているので、今後も期待しつつ教員の方々には感謝していきたいものです。
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